今日は、東京都市大学人間科学部教授 山岸道子さんの講演会「【社会福祉の役割と配慮】 困難を抱える人々へ差し伸べる手」を聞きに行ってきました。
山岸道子さんはもうかなり長いお付き合いをさせて頂いているお客様です。かなりのご高齢なのに大学や講演会で活躍をされている方です。
今回は、困難を抱えている人々へ手を差し伸べる時のことについての講演でした。この講演で印象に残ったのが三つの事柄でした。
山岸道子さんが23歳の時に、ご高齢の野宿生活者だった男性を施設へ入居させた時の話でした。その野宿生活者だった男性と一緒に施設へ行って入所したそうです。
山岸さんはその男性が喜んでいるだろうと思い、それから一カ月後にその施設へ行ったそうです。しかし、その男性は喜んでおらず、綺麗な床とスリッパが滑るので危ないと言っていたそうです。それでも山岸さんは慣れるからと言い帰ってきたそうです。
そしてまた一ヶ月して伺ってみたら、今度は慣れて喜んでくれるだろうと思っていたら、暗い顔をしていたそうです。山岸さんはまた、もうすぐ慣れるからと言って帰ってきたそうです。
そして次に伺った時はその男性は、その施設から出て行ってしまい居場所が分からなくなったそうです。山岸さんは自分の思い込みに気が付いたそうです。
私達が、虫がいっぱいなところで野宿するのが嫌なのに野宿しろと言われている様なもの・・その老人が野宿の方が良かったのかもしれませんと・・自分の価値観だけでその老人の話を聞いてあげなかったことに後悔しているとのことでした。
二つ目は、差別用語です。下記の言葉は困難を抱えている人の尊厳を傷つける言葉だそうです。
差別語 ⇒ 傷つかない言葉
精神薄弱者 ⇒ 知的障害者
痴呆症 ⇒ 認知症
年寄り・老人 ⇒ 高齢者
母子家庭 ⇒ ひとり親家族
母子寮 ⇒ 母子生活支援施設
障害者 ⇒ 障がい者
精神分裂病 ⇒ 総合失調症
などだそうです。私はこの言葉に差別の概念が全くありませんでした。それよりなにより左の言葉にまったく差別をする気持ちなど微塵にも無かったです。
そういう人々の尊厳を傷つけないために言葉を慎重に選ばないとと思いました。それと同時に、言葉と同じぐらいに相手を尊重する気持ちも重要だと思いました。
例え話ですが、毒蝮三太夫が、「ばばぁー・・・じじぃー・・・」と口が悪いですが、そこには相手を思いやる気持ちが存在しているから、相手は気を悪くすることなくいられるのではと思うのです。
三つ目が、マザー・テレサさんの言葉でした。
「人を不幸にするのは病や貧困ではない。それ(病や貧困)ゆえに誰からも相手にされず多くの方の愛を受けることができないこと、それが不幸なのです。」